Interview

Issue : 55

UIデザイナー・鹿熊茉夕|古民家の空気感を手がかりに、自分の「好き」をかたちにした一軒家

東京から千葉へと夫婦で移り住んだ鹿熊茉夕さん。外観はごく普通の一軒家だが、一歩なかに入ると一変する。古民家の空気感に惹かれ、桐箪笥などの古い家具を手がかりにDIYで整えた室内は、現代と過去を行き来しているかのようで、空間の広がりも時間の流れも独特な空気感に包まれている。自分の「好き」にまっすぐ向き合うことで、暮らしのなかで呼吸し続けるその家は、彼女の感性と静かに響き合っている。

Profile

鹿熊茉夕

映像編集の会社に勤務後、フリーランスのグラフィックデザイナーを経て、UIデザイナーとしてIT企業に入社。Instagram シカとクマ 鹿熊生活(@shikasan_kumasan)でも、日々の暮らしについての発信を行っている。

「何もなかったからこそ、自分の好きな世界がつくれた」

この家に引っ越して来たのは2019年の終わり頃。夫の祖父母が暮らしていた家を譲り受けたのがきっかけだった。

 

「家自体はごく一般的なしつらえで、これといった特徴もありませんでした。ただ、唯一“和室”があったのがヒントになりました」

 

既存の空間に自分たちを合わせるのではなく、自分たちの暮らしに空間を引き寄せるようにして、少しずつDIYを始めた。設計もインテリアのテイストも、すべて茉夕さん自身が考え、手を動かした。

  • 家具のほとんどは、改装した内装に合わせて揃えた。インテリアの色味は基本3色に抑えてい
    る。

  • 棚に並ぶのは、暮らしの輪郭を描く静かな道具たち。

  • 造形の美しさに惹かれて手に入れた菓子型など、棚には気に入ったオブジェ類が置かれている。

「業者に頼んでもよかったのですが、一軒家をまるまる自分の手で”作る”なんて人生の中であまり経験できることではないと思って。確かに大変ではありましたが、私にとってはいい創作活動になりました」

古民家をテーマに、自分たちの空間を紡ぐ

改装のコンセプトは「古民家」。もともと寺など古い建物が好きだったというのもあるが、祖父母が使っていた桐箪笥もアイデアを決める最初のソースだった。

 

「この素敵な和箪笥に似合う部屋にしたいと思ったのがスタート。そのためにどんな色合いで統一していくかというのをまず、考えました。次に素材。最後に家具という順番で決めていきました」

間取りは変えず、和室とダイニングのあいだにあった襖を外すことで、空間に自然な広がりが生まれた。時間の流れがやさしくほどけていくような、静かな気配が満ちている。

陰影を生かす、光のコントロール

余白を生かしたものの配置。黒、茶、白の3色を基調とした落ち着いた色調──。

そしてこの家の空気をいちばん深く変えているのが、開口部に取り付けられた障子だ。

 

「光だけでなく影も美しく見せたいという思いがあって、陰影を意識して開口部に障子を取り付けました。曇りの日は薄暗い光が差し込んで静かな雰囲気になるし、晴れた日はふわっと優しい光になる。この家の世界観を作り出しているのは、障子の存在が大きいと思っています」

光と影、そのどちらにも耳を澄ませたくなるような、ゆるやかな明暗が、暮らしに自然と呼吸を与えている。

暮らしに宿る、小さな気配

この家では、文鳥とキンカチョウもともに暮らしている。

朝には鳴き声や羽ばたく気配があり、かすかな音が空間のすみずみにまで広がっていく。

 

「最初は既製の鳥かごを使っていたのですが、どうしても空間に馴染まなくて」

 

鳥たちのケージや、止まり木になるバードツリーも、茉夕さんの手作り。整った静けさのなかに、羽音がわずかに揺れる。
暮らしのなかに呼吸があるということ。それは、時間と空間に少しずつ体温が宿っていくということ。
光、影、音、香り──そのすべてが、この家の風景をつくっている。

好きなものだけしか目に入らない環境が、創作にも影響

そうして作り上げた空間には、小物に至るまで茉夕さんの美意識が行き渡っている。名前に由来する鹿と熊のオブジェ、時間の流れに区切りをつけるために焚くお香、質感や色合いの調和──目に入るものは、どれも自分が「好き」と思えるものばかりだ。

「私はほぼ在宅で仕事をしているのですが、余計なものがない空間に身を置くことで仕事のアイデアが浮かんだり、集中ができたりします。それも家作りの大切な要素だと思っています」

この家にあるのは、特別な建材でも、複雑な設計でもない。

自分の目で選び、手で整えてきた、静かで確かな風景と、そこに流れるひと続きの空気。

「好きなものだけが視界に入る」という環境は、自己満足ではなく、自分をまっすぐ保つための軸になる。

迷いながら手を動かし、少しずつ形にしていくこと。その積み重ねが、住まいと暮らしの輪郭をやわらかく整えていく。

この家は、自分の感覚を信じて生きていくための、静かな舞台でもある。

pick up item

吊るせるガラス花器

 

 

家のなかでも四季が感じられるよう草花は必ず飾っている。特にガラスの花器が好きで、これは最近、手に入れたもの。空間にふわりと浮かんでいるように見え、光を受けてわずかに揺れるさまが美しい。家のなかに風の通り道をつくってくれる存在。

Editor’s Voice

  • 駅を降りて、タクシーで10分程度。閑静な住宅街にある家は、外観はごくごく一般的。「本当にこの家かな?」とおそるおそるインターホンを押してみる。鹿熊さんが出てきて、間違っていなかったことにホッとしながらなかに入ると、まったくの別世界が広がっていた。間取りはほとんど変えていないというが、雰囲気は鹿熊さんが目指したという古民家そのもの。お香のいい香りが漂い、緊張気味だった心と体が一気に解きほぐされていく。柔らかな光が部屋を包み込み、初めて訪れた家とは思えないほどリラックスできたのは、おそらく鹿熊さんの好きなものしか置かれていないから。一つ一つのものや飼っている小鳥に対する愛情が、くつろいだ空気感をつくり出しているのだと感じた。自分の好きをつらぬくこと。それがこんなにも深く心に作用するものなのだ、というのを教えてもらった。

    Wakako Miyake(Writer)

Staff Credit

Written by Wakako Miyake

Photographed by Eichi Tano

About

泊まるように暮らす

Living as if you are staying here.

食べる、寝る、入浴する。
家と宿、それらがたとえ行為としては同じでも、旅先の宿に豊かさを感じるのはなぜなのか?
そんなひとつの問いから、yadoは生まれました。

家に居ながらにして、時間の移ろいや風景の心地よさを感じられる空間。
収納の徹底的な工夫による、ノイズのない心地よい余白……。
新鮮な高揚と圧倒的なくつろぎが同居する旅のような時間を日常にも。

個人住宅を通して、そんな日々をより身近に実現します。