Trip
Issue : 37
Tatehata House|森にひっそり佇むミッドセンチュリー建築で、心と体の境界線をなくす時間
群馬県の浅間山麓に広がる北軽井沢の別荘地に、文化人の邸宅を数多く手がけた建築家・建畠嘉門の自邸の山荘がある。50年以上の年月を経て、再び人の手が加わり、多くの人を迎える一棟貸し宿「Tatehata House」として蘇った。ここには、友人のこだわりの別荘に訪れたと思いたくなる、丁寧な時間が流れている。
救済すべき建物と出会い、そこから生まれる縁
伊豆半島の最南端、南伊豆にある一棟貸し宿「Izu Cliff House」を手がけた坂田華さんが、新たに老朽化した北軽井沢の貸切山荘を甦らせたと伺い、早速足を運んだ。
軽井沢をさらに北上し、カーブの続く林道を登ると、グッと冷え込む北軽井沢に着く。軽井沢よりさらに湿度が低く、夏でも過ごしやすいこの場所は、冬は真っ白で静謐な雪景色を見せてくれる。古くから避暑地として人気の場所だ。
その中でも「大学村」と呼ばれる歴史あるエリアは“ステイタスの象徴ではない文化人のための場所”として保護され、建物を囲む柵やフェンスを持たない。自然と調和することに重きを置き、独自の山荘文化を育んできた。
長年眠っていた「Izu Cliff House」を救出したときと同様、ここでも坂田さんは救いたい建築に出逢う。
1968年に建畠嘉門が建てた山荘だ。小説家の大江健三郎や脚本家の倉本聰などの住宅を手がけ、多くの文化人に愛されてきた建築家の自邸だった。
のちに調べたところ、当時の「新建築」にも掲載されるほどの建物だったという。
「初めて見た瞬間、なんて美しい外観だろうと思いました。急勾配になった片流れの屋根も洗練された印象で、全く古さを感じませんでした」
50平米と非常にコンパクトなのに、中に入るとその狭さは微塵も感じさせない。
都会の狭小住宅を建てるヒントがここに
玄関を入ってすぐにダイニングがあり、その後ろに2階へと続く階段を設けた。この縦に長い建物は「空間の使い方がうまい」と、訪れた建築家たちの多くを唸らせる。
限られた敷地面積でもこんなに豊かな間取りができるのか、と感動する人が多い。狭小住宅の可能性がここにある。
傷みが激しかった浴室以外は、当時の状態をできるだけ再現した。ここでも「Izu Cliff House」を甦らせたときと同じく、坂田さんの建物へのリスペクトを感じる。
「建築家の建畠嘉門さんが、今もこの山荘を使っていたら?」。そんな想像をしながら改修を行い、家具を決めていったという。
ブランドがひと目でわかるようなものは置かず、建物に馴染み、それでいてきちんとした造りの調度品が並ぶ。
さて、ここから実際に滞在する中で見つけた、暮らしに役立つヒントを紐解いていこう。
お気に入りの食器を並べた。それを使う私たちの幸福
「Tatehata House」に滞在して、夕食の準備に取り掛かっていると、友人宅に遊びに来た感覚になっていった。不思議な感覚だった。
そこには、ささやかながら食器が大きく影響していると思う。
水を飲もうと手にしたグラスが、フィンランドのイッタラ社のものだったのだ。他にもさまざまなメーカーのカトラリーや調理器具が丁寧に揃えられ、リゾートホテルで見かけるような、ひとつのメーカーから大量に仕入れられている感がない。
友人宅のキッチンで「お!これを使っているんだ」と、こだわりの器を発見していく感覚に近い。グラスや皿を使う楽しみが広がっていく。
そのとき、取材の合間にふと坂田さんがこぼした言葉を思い出した。
「こういった物件を発見し、改装していると、自分の洋服にお金をかけなくなりました。例えば、8万円のコートを買おうかな、と思っても、これを買うならあそこを修復しよう、あの家具を置こうと考えるんです」
この山荘は、決して初めから宿のために修復されたわけではない。オーナーの坂田さんたちが心地よく暮らす前提で、甦らせていった建物なのだ。
食器や調度品からもその想いが伝わり、さらに「Tatehata House」の滞在時間の幸福度が上がっていく。
秘密の話をするのに相応しい場所
夕食を終えた後も、窓の外を眺めながら食卓での団欒は続いた。決して大きくはない、小ぶりの円形テーブルが集まった人をより親密にさせる。
低めに吊るされたランプの朧げな明るさは、大声でわいわいと話すよりも、お気に入りの音楽を流しながら、秘密の話を楽しむ距離感。
その後、2階のソファに移動して、体を投げ出しながらワインを飲んでいると、ますます非日常の世界に没入していく。
窓から見える仄暗い森が、自分を取り巻く普段の環境を完全にシャットアウトするのだ。
夜が更ける。そんな言葉がぴったりハマるほど、深く濃密な夜がゆっくり過ぎていった。
新しいスタートを切るのに最高の朝
朝、目を覚ますと、窓から見えるのは美しい森のみ。一日の目覚めにふさわしい、生命のみずみずしさを感じる風景。冬が訪れると落葉樹の葉はすべて落ち、日の光を遮るものがない。ただただシンと静かで真っ白な雪景色が広がるのみ。
枕の向こうに大きな窓を設ける醍醐味は、これに尽きる。今日という一日が特別なものになるという予感。
そして、寝ぼけ眼のまま、朝風呂へ向かった。サウナと露天風呂がある離れは、母屋から少し離れた木造の建物だ。
いったん外へ出て入浴に向かう、この距離感もいい。「自分はこれから心身を整えに行くのだ」という高揚感が高まっていく。
1階にサウナ、2階にヒノキ樽型の露天風呂がある離れ。
キンキンに冷えたサウナの後の水風呂もいいが、今朝は鳥のさえずりと木漏れ日の中でゆっくりと体を温めることにした。
露天風呂には目隠しをするような柵はなく、どこまでも北軽井沢の針葉樹が続く。
冷えた外気と、芯から温まる湯。裸のまま、森と一体化する。
「体」という器が消えて、自然界と溶け合う感覚をここで多くの人が味わうことだろう。
露天風呂から出て、ホカホカした体で身支度を整え、山荘を後にした自分は、心身がすっかり整ったことに気づく。
完璧に整えられたリゾートホテルではなく、人の手によって丁寧に育てられた宿のこだわりやインテリアの遊びこそ、過剰なサービスに慣れた私たちの心をほぐしてくれる。
現在、オーナーの坂田さんは長野県で新たな建物の救済に取り組んでいるという。江戸時代から続く豪農の邸宅をゆっくり改修しているとか。
朽ちていくには惜しい建築物に、次なる可能性を吹き込む坂田さんの活動はこれからも続く。
そんな足跡を追う旅も面白い。
Editor’s Voice
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夕食の支度をする。ワインの栓を開ける。窓の外を眺める−。普段と何ら変わらないこれらの行動が、山荘では特別なものになっていく。私はじっくり味わうことができて幸せだった。木の実がポチョンと落ちる音さえ、不思議と気持ちを高揚させ、非日常感を加速させる。建物が好きなオーナーの別荘に、特別に招待された。そんな感覚で過ごせるのが、この「Tatehata House」の最大の魅力だと思う。誰かが大切に使い込んだ記憶と共に、山荘でゆっくり過ごす時間は、自分を整えるために使いたい。
Tokiko Nitta(Writer)
Staff Credit
Written by Tokiko Nitta
Photographed by Eichi Tano
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